ATI認定アレクサンダー・テクニーク教師によるピアノ指導

教室sfera-musicaが出発する前の話

こんにちは。久しぶりの文字投稿です。

先日、球体スタジオについての新聞社のインタビューを受けた時のこと。記者さんからの質問を含め、私たち施主と建築家で話を掘り下げていくうちに11年前の教室への思いが整理出来ました。常に前に進むことに必死で、思い出す時間が無かったということもありますが・・・今回思い出したことは「忘れてはならない大切な思い」だったと気づきました。

新聞掲載は週一のコラムらしく、写真2枚に文字が600字程度の小さな記事です。私たちにとっては文字で報道されるのは初めてであり、映像に求められるものと違う媒体をとても楽しみにしていますが、おそらく今回話した内容のほんの一部になってしまうと思われます。そんなこともあって、こちらで覚書として書き留めておくことにしました。

~以下記者さんの質問形式で書き留めます~

Q「どんな思い・願いが教室に込められていますか?」

A・・・sfera-musicaの考える教室の柱は2つ

① 感性・創造力を自由に伸ばせる実験の場

② ①を自由に解放できる技術と身体の使い方を学ぶ場

を作りたいという望みがありました。

※音楽に限らず芸術分野では創造力や感性がとても大切なのは皆さんに充分理解して頂けているのですが、だからといって技術や身体の使い方を無視することは出来ません。自分の「思い」を音楽にのせるには技術と知識も必要となります。

Q「教室が球体になった理由?」

A・・・「響きの良いスタジオ」「感性をくすぐられるようなスタジオ(たとえ練習が間に合わなくても、ここに行きたい!という気持ちを含む)」の2つの要望を建築家に出していました。前者を考慮した時に、敷地面積を広く取れないという大きな問題がありました。そこで、あえて音響環境としては最悪と言われる球体をチョイス。音響障害を多く発生し響き過ぎる空間に手を加えることによって私たちの望む空間を生み出してもらったのが球体になった理由です。

Q「完成するまでのプロセスは?」

A・・・sfera-musicaの元となるお教室はマンションの1室でした。グランドピアノを狭い部屋に押し込み、そこで数名の知人のお子さんにピアノを教え始めたのがきっかけです。ただ、音楽をするということは技術を習得するだけのものではないと考えていた私にとって、この環境で教えることが本当に心苦しく、自分自身も納得いかない気持ちで徐々にストレスが溜まっていきました。家族も4人となり生活スペースと仕事場が同居するマンションではなく、分離出来る場所を建設する案を考え始めました。

当初、音楽とは無縁な夫は居住スペース&スタジオ建設の反対派でしたので(笑)、計画を強行したのは私でした(私としては珍しい行為)。一人で手あたり次第にハウスメーカや建築家とやりとりしていくうちに、いつの頃からか?主人も少しづつ参加し始め、ついには私よりも拘りを持つほどになりました。

建築家が決まるまではかなりの時間を費やしましたが、理想の空間を可能な形にできる建築家と出会えたことで、完成するまでのプロセスが全て愛おしい作業となりました。

建物自体が完成するまでの1年半(土地を探すところから入れると2年くらい)建築会社・設備会社・電気工事関係・建築家で話し合われるミーティングに皆勤賞で参加しました。この参加型の建物づくりにかかわったおかげで、教室への思い入れとストーリーが厚くなり(チーム間も生まれた)最後には完成してしまうのが寂しくなるほどでした。

Q「〇と▢というネーミング」

A・・・正確には「〇と□と▢」になります(笑)。

〇➡教室(スタジオ)

□➡共有スペース(教室待合と共有玄関)

▢➡居住スペース

※建設中の看板に「山本邸」では面白くないので遊び心で選びました。

Q「現在の〇と▢はどうですか?」

A・・・〇は11年前から常に進化し続けているのを感じます。私が変化を受け入れるタイプという事もありますが、生徒さんたちも含めて成長している実感があります。変化というよりは進化・成長という言葉がしっくりくるかもしれません。

▢は逆に変化しない場です。いつでも素に戻れる場のポジションです。

この他にも様々なお話をしましたが、以上が記者さんと建築家との対談でした。11年経ったとは思えない気持ちがあるのも本音ですが、かかわって下さった全ての現場の方への感謝と初心に帰る気持ち・成長する気持ちの2つを忘れずに歩き続けます。

スタジオ〇の内部を撮影する記者さん(朝日新聞社)
〇と□の結合部分

今後もsfera-musicaの進化・成長をお楽しみに・・・・。