「ピアノは好きだけど練習は嫌い」のサポート術

「ピアノ自体は好きだけど練習は嫌い」・・・これはピアノを演奏する人の多くが感じたことのある感情ではないかと思います。ピアノを教える生業を選んだ私でさえも、「練習しなくても、朝起きたら弾けるようになってる!」などのほぼあり得ない奇跡が起きてくれたらな・・・と考えたものです(真面目に)。今までのブログでも「練習」というワードの記事を数多く取り上げてきましたが、今回は弾く本人ではなく保護者や指導者のサポートする立場から「練習」を考えていきます。

生存と直結する次元ではないピアノ(生存と同レベルに考えられている方も勿論います)を習うという事は「好きか嫌いか」がまず大前提。「練習も嫌いで、ピアノも嫌い」という方には、他に打ち込めるものに時間を割いた方が有意義だとお薦めしますが、「ピアノは好きだけど練習は嫌い」の経験の浅い子供たちの「練習に対する嫌悪感」の理由をひも解き、ピアノ上達のために必要な「練習」にどう導けばよいか?を考えていきたいと思います。

※子供は個性もそれぞれですので固定された方法はありませんのでご承知おきください。

目次
1.楽な方に流れる生き物は人間だけではない
2.そもそもピアノを弾くとは 
3.「練習」の持つ言葉の意味
4.「練習」は量より質
5. 自分自身でどう弾きたいか?を考えられる子供に育てる
6. 小さな成功体験から自信をつける
7.まとめ

楽な方に流れる生き物は人間だけではない

元来、子供のみならず人間は「楽な方、楽な方へと流れる」性質がある生き物ですが他の生物にもこの傾向はみられるようです。

この性質の他の生き物のひとつの例として鶯がいます。鶯は「ホーホケキョッ」と美しく泣いてメスを獲得したり縄張りを守ります。毎年、初春には「ホーホケッケッ・・・」とダメダメサウンドだった鶯たちも、練習によって上達していくさまが我が家の周辺の木々の中からも聞くことが出来ます。これは練習して上達しないと生存していけないからだそうです。ただ、80年前に日本からハワイに渡った鶯は「ホーホピッ」と単純化された鳴き声が主流らしい。周波数や音階も日本のものと比べると単純で少ないとか。これは日本の鶯が季節ごとに移動や縄張り争いをするのに対し、ハワイは同じ場所に留まり、競争が緩やからだからと考えられているのだとか。練習しなくても生きられるのであればそれに越したことはないというのは鶯も同じだったようです。

ピアノを習う子供たちに話を戻します。幼い子供は瞬間瞬間を感情優先に生きている。大人に保護してもらえる身なので日本の鶯のように練習して上達しなければ生きていけないわけではない(脅しや罰を与えれば同じ状況になるかもしれませんが)。大抵の子供は自分の問題点に向き合う事や出来ないものを努力しようということに意味を見出せないのでしょう。もちろん、幼いころから律することが得意だったり、好む方もいますが、人生経験の浅い子供たちは動物的な感覚を優先してしまいがちです。

そもそもピアノを弾くとは

ここでそもそも論。ピアノを弾くということに立ち返ってみたいと思います。ピアノを「弾く」は英語でplay、フランス語ではjouer,ともに「遊ぶ」という意味合いも持ちます。

「ピアノを上達させるにはある程度の痛み(努力・頑張り・犠牲)を伴う」と信じていたのは私だけではなく、勤勉でまじめ気質の日本人はこの感覚に陥る方が多いです。辛かった分だけ幸せはやってくる・・・逆も然りで幸せを求めるにはたくさんの辛さを経験すればいいと錯覚してしまう人も。私も含まれていますが、この考えは根性論が主流だった昭和世代の日本人に多くみられます。ピアノを弾くという事に「遊び」は存在しないという考え方です。

私はピアノを3歳から19歳までは日本人教師、20歳を過ぎてからは何人かのヨーロッパ人教師に師事を受けました。お国の違いだけではないのかもしれませんが、ヨーロッパの教師はピアノを弾く・音楽を教えるという事の根本がplay・jouerのスタンスであったことに、文字通りカルチャーショックを受けました。

先生方のレッスンは音楽に対する愛情に満ち溢れていて、なぜこの曲が素晴らしいのか?どうすればもっと素敵になるのか?の探求心を押さえることが出来ないといったレッスンでした。夢中になっている姿はまるで子供が宝物を説明する様子そのものです。「ここに楽譜があるのに(譜読みをしないで)放っておくことなんて出来ないわ」と新しいおもちゃをもらった子供が包みを待ちきれずにあけるような様子で話す先生もおられ、そのポジティブなオーラが生徒に伝染するのをまざまざと実感しました。

指導者の考え方は、生徒に大きな影響を与えます。ご両親のお考えにもよりますが、これからピアノを子供に・・・とお考えの方には幼い時期に大切なことは技術的な進度ではなく、ピアノを弾くことは「楽しい」という根っこを育ててくれる、そんな導入期の先生を慎重に選択することをお薦め致します。(すでに指導を受けている方もご両親の導き方でかなり違う意識が芽生えるはずです)

練習の持つ言葉の意味

ここで「練習」という言葉に立ち返り、意味を調べてみましょう。

練習・・・技能・芸事などが上達するように同じことを繰り返しならうこと(大辞林第三版)とあり、類義語を調べると稽古・訓練・トレーニング等があります。

稽古・・・武芸・芸事を習う事、学問、学習(大辞林)

訓練・・・ある事を上手くできるように技術・身体的練習を継続的に行わせること(大辞林

トレーニング(training)・・・訓練・教練・養成・練習・鍛錬・調教(weblio)

言葉の持つ意味からも、繰り返し行う・修行、というようなイメージが強く感じます。これは受け取る側の感覚にもよりますが、「楽・楽しい」というイメージの逆で「辛い・長い道のり」の印象が強いように感じます。

練習は量より質

1回弾いただけで出来なかったことが出来るようになるのであれば、誰も練習嫌いにはならないでしょう。出来ないものを出来るようにするという事にはある程度の時間と工夫が必要です。この「時間のかかりそうな険しい道」という負のイメージが子供たちのみならず生徒を練習から遠ざける原因の一つではないでしょうか。

では必ずしも「練習時間の長さは上達に比例する」のか?努力は報われるのか?という問題も出てきます。

一万時間の練習をこなせば、その道のプロ・活躍できるトップの一員に入れるという話をご存じでしょうか?広めたのは「天才!成功する人の法則」の著者 マルコム・グラッドウェルですが、この法則の元となる研究を行ったアンダース・エリクソン教授は単に1万時間かければよいというものではなく「質」も勿論大切だと言及していたそうです。

そう、「量」は無意味とまでは言い切れませんが「質」がもっとも大切だと言えます。

またこれは「練習」という言葉に既にマイナスイメージを持つ子供や、レッスンの時間しかピアノに触れない子供への対策ですが、課題の出し方を「練習する」ではなく➡「チャレンジする」・「挑戦する」・「実験する」に変えてみるのもひとつの手だと思います。いつもと違った視点からピアノを見ることが出来るようになり、言葉一つで変わる子もいます。

自分自身でどう弾きたいか?を考えられる生徒に育てる

ピアノ練習の量を重視するあまり、間違ったやり方を逆に上塗りして身体に染み込ませている様子を時々見かけます。とくに家での練習を数で即したり、練習時間を重要視させた生徒に多いです。

導入期~初級レベルであっても、練習の方向性をどこに向ければよいか?自分自身がどのように弾きたいのか?のイメージを持てるような言葉がけ大切です。それを指導者や保護者の方が根気よく問いかけることによって、考えてピアノに取り組むことの面白さを、自ら育んでいける子供に育つでしょう。

これは週一回程度かかわる指導者のみでは大変難しく、日々一緒に過ごす保護者のお力も必要になります。自分の幼少期も然りですが、自身の力だけで成長出来るようなお子さんも確かに存在しますが、それは「稀」な例だと思っていただくのが賢明です。

成功体験から自信をつける

子供に限らず、誰でも少ない努力で大きな成果が出ることを夢見ます。例えば今日1日で仕上がりに程遠い一曲を暗譜する!などの、1週間の課題をこの日1回の練習でものにするというような行動です。

こんな大きな目標が達成出来たら本望ですが、たいていは成功せずに落ち込むことになります。この繰り返しを続けていれば「練習」が嫌いになるのも当然です。ではどうすれば良いのでしょう?

まずは自分の決めたことが自分自身の力で果たせるという体験をする。欲張らず、毎日2小節でもいいから弾いてみるといったような小さな目標から始めます(親も指導者も一つ成功すると欲が出てしまい、次のステップに進ませがちですが、ここはぐっと辛抱です)。そしてそんなちょっぴりの成功を本人だけではなく周りにいる人間も心から喜びましょう。「ほんの少し手を伸ばせば届くような小さな成功体験を喜べる体質」、その体質が出来ることによって、ゆくゆくは自ら目標を定めて挑戦することを楽しめる人間に成長できると思うのです。

まとめ

1.練習が嫌い=ピアノが嫌いとは限らない
2.導入期は音楽にポジティブなイメージや興味を大切にしている指導者を選ぶ
3.指導者や保護者は子供自身が音楽のイメージを持てるように声掛けする
4.練習は量より質を重視
5.「練習」をポジティブなイメージを持つ言葉に変えて声掛けする
6.「考える子」に育てる
7・小さな成功体験も喜べるも体質を作る

今回は私自身のピアノ指導30年を振り返り、自戒の念を込めて「ピアノは好きだけど練習は嫌い」という生徒に焦点をあてて今現在の考えをまとめました。

子育ても同様ですが、ピアノ演奏も指導方法も対象となる子の性質や環境が異なるため、答えは一つに絞れません。その都度「考える」ことが出来る子供たちを一歩離れたところからアドバイスすることが大切です。そして、ピアノの前に座って何のルールにも縛られず無心に音楽を楽しんでいた子供たちの可能性を思い出し、その可能性の芽を摘んでしまっているのは、もしかしたら周りにいる私たち大人なのかもしれないという事も頭の片隅にいれて頂きたいです。